聖雪 2  1月1日2008年     小堺 高志

 

2007年クリスマス、 朝から快晴である。ゆっくりと起きて10時を過ぎてからキャニオン ロッジに向かう。

 

8番リフトから22番に乗り換え、今日の一番は東側に下りる。そして滑りながらさらに右手へと進むと、今季から快速リフトになり9番からクラウド9エクスプレスと呼び名も変わった6人乗りの快速リフト乗り場に着く。このリフトはもともとマンモスでは最長の長さがあり、15分かかっていた乗車時間がこの新設の高速リフトで5分に短縮された。斜面はそのままで大雪が降らないと面白くない自然のままのコースであるが、東側のパーキングから大量に人をメインロッジ方面へ運ぼうということらしい。

5番からフェースに抜けるところに昨年パトロール員が犠牲になったガスの噴出すところがある。20メートルくらいの範囲で柵がされているが、近くを通ると風向きによっては硫黄臭がする。この場所は通過するだけで、柵の中に入らなければ心配ないが、マンモスが火山である事を思い起こさせる場所である。

 

昨日、斉藤さんが「良かったですよ」と言ってた裏側へ降りてみる。大して良くなかった。文句を言おうと斉藤さんを探すが、こう言う日には見つからないものである。

幾分疲れの出ている今日は早めに切り上げることにして午後2時前にはキャニオン ロッジに戻る。昨日、佐野さんが10年ぶりくらいで偶然出会った知り合いスージーを今日の夕食に誘おうと朝から探しているが見つからない。「探し人は見つけようとして見つかるものではない、突然目の前に現れる」という説で佐野さんと意見が一致。

        

 

一度シャモニーに帰って着替えて、またキャニオン ロッジに戻り、ゴンドラでザ・ビレッジに下りてみる。クリスマスで何か催し物をやっていないかと思ったが、昨夜はキャンドルサービスがあったそうだが、今日はなにもないようである。ハッピーアワーでカクテルのマイタイの大グラスが3ドル50セントで飲めるのを見つけた。これはお買い得、2杯ずつ飲んで気持ちよくなりゴンドラで帰路に付く。今の時間下りて来る人ばかりで、これから上る人はいない。係員が「今日は5時でゴンドラは止るからその前に戻るよう」と忠告してくれたが、我々は上に住んでいる。シャモニーのロケーションは最高である。

 

クリスマスの夜は原ちゃんが置いて行ってくれたDVDのコレクション50本の中から、アル・ゴアが地球環境の危機を訴えるアン インコンビニエンス トゥルースをみる。50年後の地球はどうなっているのか、未来のために今 何が出来るのか?考えさせられ内容である。

   
Ready to ski

   
ザ・ビレッジへ向かうゴンドラにて

 

26日、朝方からぱらぱらと雪が落ちてきた。今日も10時過ぎからの出動である。風があるため上の方は開いていない。スタンプ アレーからフェースの裏を滑る。今日は、何処のリフトラインも短く待ち時間はない。週末の29日からはまた誰か来るだろうが斉藤さん達も昨日で帰ったし、知り合いに会うことも今日はないだろう。しかし小雪と霧が出ていて、視界は悪い。雪が降るのは嬉しいが、ここまでの積雪2cm位と、なんとも中途半端な降り方である。それでも視界の晴れた時を縫って滑る。所々、吹き溜まりになった所に良い感触の雪がある。私はこのコンデションではモーグルしか興味ないが、曇って凸凹が見えないとモーグルも滑れない。

昼ごろ雪が止み、雲の間から太陽が顔を出す。

疲れの出ないうちに滑ったアクトとブルージェーのモーグル斜面では一つのコブも逃げることなく攻略できた。佐野さんも今季は腰が引けず良くスピードをコントロールしたモーグルをしている。良いんじゃないかい、今シーズンのモーグルは。そして今日は早々と引き上げて洗濯日である。

 

午後3時、買い物とスターバックのネットワークを使うため街に向かう。待望の雪が降りはじめている。シャモニーはキャニオン ロッジのパーキングのはずれから2軒目という絶好地に位置し、そこから1マイルほど緩やかな坂を下るとザ・ビレッジと呼ばれる高級ホテル群とレストラン、ショッピングなどがある新しく開発された地域がある。このザ・ヴィレッジはキャニオン ロッジとゴンドラで結ばれている。そこからさらに東に1マイル半ほどがマンモスの街である。マンモスの街は大きくはないが何でもある。マンモスリゾートの経営会社と関係のない良心的なお店、マーケット、モーテルなどが並ぶ。

 

私はコーヒーは飲まないのでスターバックではお茶である。このシアトルから出て世界的コーヒーのチェーン店となったスターバックには、フランチャイズのチェーン店になる前、私はシアトルで初めて出会った。それまでアメリカになかった日本の喫茶店のように一杯のコーヒーで何時間いても良いというシステムは、その後アメリカでも受け入れられ、ビジネスとして大成功した。いまスターバックは店内でコンピューターのネットワークを使える店としても有名である。私のコンピューターにはそれ用のソフトが入っていて、接続すれば会社のコンピューターに入っていって仕事が出来る。

 

窓の外には雪が激しく降っている。チェーンをしないで帰れるうちにマーケットに寄って帰路に付く。ここ2日間、マンモスのマーケットでは卵がすべて売り切れであったが、今日は沢山入荷していた。帰り道、道路はすっかり雪に覆われ車はのろのろ運転。ザ・ビレッジでは上に上がる車の半数はチェーンの装着のため停まっている。私はまだ大丈夫と判断し、そのまま無事に上がりもどってきた。

その雪も、まもなく上がった。積雪量としては3−4センチとまたしても微妙な量である。これで明日の朝まで降らなければ、明日はレーク タホへ遠征である。

 

翌朝8時半、レーク タホへ向けて出発する。マンモスで、すでに5日間滑っていると、一日くらい気分転換に違うスキー場を滑ってみたくなる。それも滑ったことのないスキー場が良いと言うことになった。

マンモスから2時間半くらい北上した所にあるタホ湖の周辺には10箇所ほどのスキー場がある。私もそのめぼしい所はほとんど滑っているが、佐野さんは昔、その中の一つヘブンリーに3ヶ月位いたことがあるので、二人供滑ったことのないスキー場となると、探すのは難しい。インターネット等で情報を得て、目的地はシエラ アット タホという幾分マイナーなスキー場へ行くことになった。

 

レーク タホへの道はかって西部劇の舞台であった。今でも牧場が多い。のどかな雪景色を見ながらのドライブである。最近買ったCDのお気に入りの曲,ボン ジョビの『Make a memory / 思い出を作ろう』、ちょっとカントリーぽくて、この風景にぴったりである。

 

レーク タホはカリフォルニアとネバダの両州にまたがるカジノもあるリゾート地である。ギャンブル、スキー、湖でのボート遊び、釣り、山歩きで一年中訪問者がたえない。カジノのレストランで昼食をとって、始めて行く シェラ アット タホの情報をホテルでもらう。ルート50番に沿って車で20分ほどの距離だと言う。

ルート50番をサクラメント方面へ、最初は右手に湖を見ながら走る。幾分交通渋滞があったとはいい、30分ほど走っても、それらしい標識が見えない。「?」と思ったころ、スキー場の看板が出てきた。良い場所に駐車出来て、午後からの半日券を買い、マップでどう滑るか検討する。そんなに大きくないので、全体に渡り滑ってみたいが、初心者用のリフトラインが混んでいる、そして客層が若い、スノーボーダーが多い、客層に品がない。そこで気づいた。「佐野さん、ここはレーク タホのスキー場でも一番サンフランやサクラメントから近い、リゾート地というより、日帰りのローカルスキー場だね!」すでに遅し、幾分不本意ながらも、初めて滑るスキー場を楽しむしかないか?

 

まずは向かって左側のリフトにのって一本滑ってみると、雪質が硬い。北に上がっても良い雪に出会えるとは限らない。今の状態ではマンモスの雪質の方が良い。クリッパーという瘤斜面をおりてみる。長いバンプ斜面であるが、ちょうど良い傾斜で滑り易い大きさの瘤が続く。これで新雪なら私には嬉しい斜面である。このクラスの斜面は、マンモスではことごとくグルームしてしまって瘤が育たないのが欠点である。カナダのウイスラーのように片端にグルームしないバンプ斜面を部分的に残してくれたら、マンモスももっと面白いのであるが、モーグル斜面が少ないのが我々のマンモスへの数少ない不満である。この点においては、唯一このスキー場がマンモスに勝る点かもしれない。しかし今日は雪質が悪い。雪質が良ければなかなか良いスキー場だと思う。客層を除いては。

 

最高度地点にいくと遠方にタホ湖がみえる。キャストと言う斜面を下りる事にした。急な瘤斜面からのスタートである。写真を撮っているうちに佐野さんが先に滑り出した。30メートルほどのところで転んで瘤に隠れて見えなくなった。私も滑りおりる。結構大きな瘤で最初は良いと思ったが、すぐに瘤の中に岩が方々に顔を出しているのに気づく。岩をよけながらの急なモーグル斜面は結構難しい。佐野さんが立ち直るのを待っていると、しばらくして追いついた佐野さんが言う。「岩を避けようとジャンプして転んだよ。硬い岩に突いた手首が痛い。もう少しで折れたかと思った。それと打った腰から肩が痛い」

 

大丈夫だと言うのでそのまま滑り続けるが、打撲はたいしたことなく済んだが、全般的に6日間のスキーで疲れが出てきている。そのうえに長いバンプ斜面でのモーグルに止めを刺されたといったところか。無理をして怪我をしたら来月のヨーロッパ行きに支障を来たす。山頂のレストランで休んで、レーク タホの市内に戻ることにする。

市内で佐野さんの案内で何軒かカジノを覗いて見る。不景気なのか、明らかにこの時期としては客が少ない。カジノで食事をして、少しギャンブルをしてマンモスへと南下する。ギャンブルの私の成果はとんとん。佐野さんが買うのは何時ものようにフットボールのスポーツブック。結果は新年にならないと分からない。

途中で雪が降り出した。夜間の雪道走行は気を使い疲れる。帰宅は10時半であった。残念ながらマンモスには、ほとんど雪は積もっていなかった。

 

日に日にゲレンデに出る時間は遅くなり、引き上げる時間は早くなる。今日は10時半の出動である。朝のうちは薄日が射していたので、日焼け止め、サングラスと晴れの日用の服装をして出たら、滑り始める時にはすでに雲って視界が悪く凸凹がみえない。今日はモーグルの日と決めていたのに、この状態ではモーグルはどうにもならない。マッコイで天候待ちをする。どうも今回は我々がゲレンデに出ると天候が悪くなり、休憩に入ると良くなるようである。

外は吹雪いて 視界が悪いが、その割りに 雪は積もっていない。

マッコイにいると、マンモスのマスコット 「ウィリー」が来た。彼の牙に触った佐野さん曰く、「象牙じゃないじゃん。プラスチックだよ」

それはそうであるがマンモスは年末にかけて滞在するスキーヤで混んで来た、ウィリーに象牙をつけるくらい儲かっているはずである。

 

29日、土曜日、スキーも8日目である。今日は嘉藤さん夫婦、仏の斉藤(太)さんなどが来ていると思われるので気合をいれてマッコイに向かう。

マッコイでマユミちゃんに会った。「嘉藤さんは今朝出発したので、ここに着くのは午後からでしょう」と教えてくれる。「斉藤さんが来るって言ってたけど、見なかった?」と聞くと「それらしい人を見たんだけど、斉藤さんにしては少し下半身が細かったかも」というので我々「あ、それは違うね」と即却下。

 

雪はこの所の日中の暖かさでかなり硬くなって来ている。

その上今日は我々がめざすバンプ斜面のある、ウェストボールもアクトもグルームされ瘤がなくなっている。風が出てきて上に行くゴンドラもリフトも止まり、やがてフェースリフトも止まってしまった。キャニオンロッジ方面に戻るしかなく、8番リフトの下、レッドウイングが唯一良いバンプ斜面になっているのでここを中心に滑る。ここは斜面としては優しいので気持ちよくモーグルを滑られる。

 

帰りがけにキャニオンロッジのショップにスキーをチューンナップに出す。岩に乗り上げたりで、かなり裏が傷んでいる。

夕方打ち上げにザ ビレッジに向かう。この前と同じくハッピーアワーでマイタイとマーガリタが3ドル50セントで飲める。

飲みやすいカクテルについつい飲みすぎて、久しぶりに酔っ払ってしまった。

ゴンドラが停まってしまったので7時半ごろ歩いてシャモニーに戻り、そのまま酔いつぶれてしまった。

夜中に起きてカメラがないことに気づいた。すっかり酔いが覚めて心当たりを探すが見つからない。夜中の2時までやっている飲み屋で聞いても、バーテンダーは「帰るときカメラ持ってたよ」と教えてくれたが、もっかカメラは行くえ不明。デジカメはカメラだけあってもソフト等がないと使えない。誰かが届けてくれていれば良いのだが、、、、

朝になってビレッジのセンター等に聞くが届出なし。この連休が終わるまでに出てこなければ諦めるしかないか。スキーヤーに拾われたら出てくるがスノーボーダーに拾われたら出てこないような気がする。これって偏見?そう、偏見でしょう。ゲレンデの真ん中に止るスノーボーダーとゲレンデの端に止るスキーヤーの違いである。

 

今回は結局、最初の2日間の雪質がベストでその後、段々と雪質は落ちて来た。しかし成果はモーグルの滑りに慣れてきたのと、ヨーロッパに向けスキーの体力作りが出来たことであった。最後にカメラを失くしてしまったが、良い9日間であった。

これだけ滑っても思う、やはり、スキーはいい。自然の中でやれるスポーツなのがいい。空を飛ぶ鳥のように自由に滑降できるのがいい。雪面を駆けるコヨーテのように、自然に足跡を付けられるのがいい。スキーは人間を一匹の生き物にしてくれる。挑戦するスポーツなのがいい。何もかも忘れて聖雪に包まれて滑ることが出来れば誰もが立派なスキーヤーだ。

 

新年おめでとう。
2008年が皆さんに良い年でありますように。